広島 原爆で亡くなった6人の家族を写真で伝える本

広島(ひろしま) 原爆(げんばく)亡くなっ(なくなっ)た6(にん)家族(かぞく)写真(しゃしん)伝える(つたえる)(ほん)

今月(こんげつ)売り出し(うりだし)た「ヒロシマ消え(きえ)たかぞく」は、原爆(げんばく)亡くなっ(なくなっ)家族(かぞく)のことを写真(しゃしん)伝える(つたえる)(ほん)です。 広島(ひろしま)()鈴木(すずき)六郎(ろくろう)さんは写真(しゃしん)撮る(とる)ことが趣味(しゅみ)で、(つま)と4(にん)子ども(こども)生活(せいかつ)していました。しかし、1945(ねん)8月6(にち)広島(ひろしま)原爆(げんばく)落とさ(おとさ)れて、家族(かぞく)がみんな亡くなり(なくなり)ました。この(ほん)は、六郎(ろくろう)さんのおいの鈴木(すずき)恒明(つねあき)さんが持っ(もっ)ていた写真(しゃしん)使っ(つかっ)て、家族(かぞく)がどのように生き(いき)ていたかを伝え(つたえ)ています。 (ほん)作っ(つくっ)作家(さっか)指田(さしだ)(かず)さんは11(にち)広島(ひろしま)()でこの(ほん)紹介(しょうかい)する(かい)開い(ひらい)て、(つね)(あきら)さんも()ました。(つね)(あきら)さんは、小学校(しょうがっこう)帰り(かえり)六郎(ろくろう)さんの(みせ)寄っ(よっ)て、六郎(ろくろう)さんの子ども(こども)たちと遊ん(あそん)だことや、六郎(ろくろう)さんが子ども(こども)たちの写真(しゃしん)をよく撮っ(とっ)ていたことなどを話し(はなし)ました。 指田(さしだ)さんは「子ども(こども)たちの笑顔(えがお)写真(しゃしん)見る(みる)と、温かい(あたたかい)家族(かぞく)だったことがわかります。戦争(せんそう)原爆(げんばく)でたくさんの家族(かぞく)亡くなっ(なくなっ)たことを忘れ(わすれ)ないでほしいです」と言っ(いっ)ていました。

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