大学(だいがく)ラクロス】 立教(りっきょう)として(はつ)全日本(ぜんにほん)選手権(せんしゅけん)完敗(かんぱい) 初めて(はじめて)3年生(ねんせい)で1(ばん)をつけた大川(おおかわ)祐季(ゆき)の1(ねん)

大川(おおかわ)(みぎ)から2(にん)())は立教(りっきょう)エースの証し(あかし)である背番号(せばんごう)「1」を背負っ(せおっ)初めて(はじめて)の3年生(ねんせい)だった(すべて撮影(さつえい)松永(まつなが)(はや)(わたる)(こう)

ラクロス(だい)30(かい)全日本(ぜんにほん)選手権(せんしゅけん) 女子(じょし)

12(つき)15(にち)東京(とうきょう)江戸川(えどがわ)()陸上(りくじょう)競技(きょうぎ)(じょう)
立教大(りっきょうだい)学生(がくせい)1())2-13 NeO(クラブ1()

国内(こくない)ラクロスの聖地(せいち)とされる江戸川(えどがわ)()陸上(りくじょう)競技(きょうぎ)(じょう)で12(つき)15(にち)日本一(にっぽんいち)決める(きめる)全日本(ぜんにほん)選手権(せんしゅけん)開催(かいさい)された。女子(じょし)初めて(はじめて)この舞台(ぶたい)にたどり着いた立教大(りっきょうだい)前回(ぜんかい)(はつ)優勝(ゆうしょう)のNeOに挑ん(いどん)だが、完敗(かんぱい)だった。

見せつけ(みせつけ)られた(ちから)()、シュートも打て(うて)

日本一(にっぽんいち)挑む(いどむ)学生(がくせい)代表(だいひょう)として恥ずかしく(はずかしく)ないプレーをしよう」。試合(しあい)(まえ)立教大(りっきょうだい)佐藤(さとう)(たけし)ヘッドコーチ(HC)は、選手(せんしゅ)たちにそう(こえ)をかけた。NeOには練習(れんしゅう)試合(しあい)を通じて、社会(しゃかい)(じん)(つよ)さを痛感(つうかん)させられてきたという。

最初(さいしょ)のドローを立教大(りっきょうだい)樋口(ひぐち)紗穂(さほ)(3(ねん)横浜(よこはま)隼人(はやと))がものにすると、開始(かいし)44(びょう)櫻井(さくらい)美帆(みほ)(3(ねん)八千代(やちよ))がシュート。先制(せんせい)(てん)にチームが沸い(わい)た。大川(おおかわ)祐季(ゆき)(3(ねん)日大(にちだい))が追加(ついか)(てん)狙っ(ねらっ)たが、相手(あいて)のG(ゴーリー)に阻ま(はばま)れる。(だい)1クオーター(Q)4(ふん)、フリーシュートからNeOの水野(みずの)果奈(かな)()決め(きめ)られ、さらに7(ふん)にも水野(みずの)勝ち越し(かちこし)シュートを決め(きめ)られた。

NeOの猛攻(もうこう)にさらされ、前半(ぜんはん)終え(おえ)て1-7。立教(りっきょう)(だい)3Q開始(かいし)のドローから一気に(いっきに)攻め(せめ)稲木(いなぎ)(ゆず)(こう)(4(ねん)横浜(よこはま)市立(しりつ)(ひがし))が2(てん)()をもたらしたが、反撃(はんげき)もここまで。NeOに(ちから)()見せつけ(みせつけ)られた。

立教大(りっきょうだい)立ち上がり(たちあがり)早々(そうそう)櫻井(さくらい)(みぎ)から3(にん)())が決め(きめ)た。ただ、以降(いこう)苦しん(くるしん)

立教(りっきょう)(こん)シーズン、負け(まけ)なしで勝ち(かち)上がり(あがり)初めて(はじめて)学生(がくせい)日本一(にっぽんいち)をつかんだ。そして迎え(むかえ)初めて(はじめて)舞台(ぶたい)。4年生(ねんせい)にとっては最後(さいご)試合(しあい)で、(ちから)出し(だし)尽くせ(つくせ)なかったことに涙する(なみだする)選手(せんしゅ)多かっ(おおかっ)た。そんな仲間(なかま)たちに笑顔(えがお)寄り添っ(よりそっ)ていたのが大川(おおかわ)だった。「4年生(ねんせい)には感謝(かんしゃ)気持ち(きもち)伝え(つたえ)たかったし、3年生(ねんせい)以下(いか)()には『(つぎ)があるよ。またこの舞台(ぶたい)立っ(たっ)今度(こんど)こそ完全(かんぜん)燃焼(ねんしょう)しよう』って(こえ)をかけてました」

大川(おおかわ)自身(じしん)、この試合(しあい)勝ち(かち)きれなかった責任(せきにん)感じ(かんじ)ていた。立教(りっきょう)は4(ねん)(まえ)から実力(じつりょく)(じゅん)背番号(せばんごう)をつけるスタイルをとっており、1(ばん)はチームのエースがつける。これまでは4年生(ねんせい)が1(ばん)をつけてきたが、大川(おおかわ)初めて(はじめて)3年生(ねんせい)でエース番号(ばんごう)をつけた。(だれ)が1(ばん)をつけるのかは、シーズン(まえ)春先(はるさき)佐藤(さとう)HCや学生(がくせい)コーチたちが相談(そうだん)して決める(きめる)。「そこまでのパフォーマンスや周り(まわり)に対するインパクトなどを考慮(こうりょ)して選ん(えらん)でます。エースがマークされるのは当たり前(あたりまえ)。それをどうするか、というチームに対するメッセージでもあるんです」と、佐藤(さとう)HCは言う(いう)

大川(おおかわ)言っ(いっ)た。「自分(じぶん)が1(ばん)をつけてるのが恥ずかしい(はずかしい)なとか、情けない(なさけない)なと思い(おもい)ました。みんなのためにも自分(じぶん)が1(ばん)だというプレーをもうちょっとできたらよかった」。それでも「みんなに『ありがとう』『祐季(ゆき)のおかげでここまでこられた』と言っ(いっ)てもらえたことはうれしかったです」と、このチームで戦え(たたかえ)喜び(よろこび)をかみしめていた。

留学(りゅうがく)(ちゅう)もチームを思い(おもい)、リーグ(せん)での敗退(はいたい)(なみだ)

大川(おおかわ)日大(にちだい)中学校(ちゅうがっこう)神奈川(かながわ))でラクロスに出会っ(であっ)た。もともと球技(きゅうぎ)好き(すき)だった。これまで()たこともないラクロスに興味(きょうみ)抱き(いだき)試し(ためし)にパスキャッチをさせてもらっているうちに、引き込ま(ひきこま)れた。「まだマイナーなスポーツだけど、もっと開拓(かいたく)できたら楽し(たのし)そう」。そう考え(かんがえ)入部(にゅうぶ)決め(きめ)た。

日大(にちだい)中学校(ちゅうがっこう)のラクロス()日大(にちだい)高校(こうこう)同じ(おなじ)フィールドで練習(れんしゅう)し、ときには大川(おおかわ)高校生(こうこうせい)一緒(いっしょ)にプレーをすることがあったという。高校(こうこう)上がっ(あがっ)てからもそのままラクロスを続け(つずけ)年代(ねんだい)(べつ)日本(にっぽん)代表(だいひょう)選ば(えらば)れるまでになった。2年生(ねんせい)のときには(はつ)出場(しゅつじょう)全国(ぜんこく)中学校(ちゅうがっこう)高等(こうとう)学校(がっこう)女子(じょし)ラクロス選手権(せんしゅけん)(はつ)優勝(ゆうしょう)。3年生(ねんせい)になって連覇(れんぱ)狙っ(ねらっ)たが、決勝(けっしょう)横浜(よこはま)市立(しりつ)(ひがし)高校(こうこう)に5-6で敗れ(やぶれ)(じゅん)優勝(ゆうしょう)だった。そのとき大川(おおかわ)はVP(優秀(ゆうしゅう)(しょう))に選ば(えらば)れた。MVP(最優秀(さいゆうしゅう)(しょう))は立教(りっきょう)同期(どうき)になった(ぜん)西(にし)莉奈(りな)横浜(よこはま)市立(しりつ)(ひがし))が選ば(えらば)れた。「高校(こうこう)のときから(なか)はよかったんですけど、(となり)称賛(しょうさん)されてる彼女(かのじょ)()てうらやましくて、このままでは終われ(おわれ)ないなって思っ(おもっ)たんです」。大川(おおかわ)負けず嫌い(まけずぎらい)(たましい)()付い(つい)た。

大川(おおかわ)中央(ちゅうおう))は高校(こうこう)ではドローを任さ(まかさ)れていたが、いまはより攻撃(こうげき)(てき)なポジションになった

立教(りっきょう)にはスポーツ推薦(すいせん)進ん(すすん)だが、大川(おおかわ)にはもともと留学(りゅうがく)したいという思い(おもい)があり、()文化(ぶんか)コミュニケーション学部(がくぶ)のカリキュラムにも魅力(みりょく)感じ(かんじ)たという。毎年(まいとし)200(にん)以上(いじょう)部員(ぶいん)がいる女子(じょし)ラクロス()(なか)で、大川(おおかわ)は1年生(ねんせい)関東(かんとう)リーグ開幕(かいまく)(せん)からスタメンとしてプレーした。最初(さいしょ)のシーズンは関東(かんとう)リーグ準決勝(じゅんけっしょう)慶應義塾(けいおうぎじゅく)(だい)敗れ(やぶれ)た。

2年生(ねんせい)になってからはカナダのトロントへの留学(りゅうがく)視野(しや)入れ(いれ)過ごし(すごし)、9~12(つき)はトロントで過ごし(すごし)た。そのため昨年(さくねん)はリーグ開幕(かいまく)(せん)(だい)2(せん)にしか()られなかった。立教(りっきょう)はファイナル4進出(しんしゅつ)逃し(のがし)た。「留学(りゅうがく)(ちゅう)もやっぱりチームのことが()になって、リーグ(せん)敗退(はいたい)したって知っ(しっ)たときは泣き(なき)ました」。チームが負け(まけ)たことそのものよりも、その現実(げんじつ)をチームがどう受け止め(うけとめ)ているのかが心配(しんぱい)だったという。トロントでもラクロスができるようにクロスを持っ(もっ)ていき、帰国(きこく)(まえ)にはジムに通っ(かよっ)(からだ)鍛え(きたえ)た。

帰国(きこく)してからは自分(じぶん)がチームに対してできることを考え(かんがえ)、チームの幹部(かんぶ)となるディシジョンメーカーに立候補(りっこうほ)した。「それまでは自由(じゆう)にさせてもらってきました。でも今後(こんご)はスタメンとか重要(じゅうよう)なポジションになることを考える(かんがえる)と、どうチームを盛り上げ(もりあげ)ていくか、自分(じぶん)考え(かんがえ)行動(こうどう)しないといけないと思っ(おもっ)たんです。このチームをもっとよくしていける役割(やくわり)担え(になえ)たら、って」。そうした姿(すがた)()て、佐藤(さとう)HCたちは大川(おおかわ)(こん)シーズンの1(ばん)託し(たくし)た。

プレッシャーの(なか)戦い(たたかい)、1(ばん)(しん)のエースになる

ただ大川(おおかわ)自身(じしん)は1(ばん)任さ(まかさ)れたうれしさよりも、不安(ふあん)(ほう)大きかっ(おおきかっ)たという。歴代(れきだい)の1(ばん)先輩(せんぱい)思い返す(おもいかえす)と、「自分(じぶん)もあんな(かぜ)になれるのかな?」という引け目(ひけめ)感じ(かんじ)た。「自分(じぶん)よりうまい()はほかにもいっぱいいる」と思う(おもう)こともあったという。しかし1(ばん)託さ(たくさ)れた以上(いじょう)弱み(よわみ)見せ(みせ)てはいけないと考え(かんがえ)(だれ)にも相談(そうだん)できなかった。

明治大(めいじだい)との関東(かんとう)決勝(けっしょう)終盤(しゅうばん)連続(れんぞく)得点(とくてん)許す(ゆるす)苦しい(くるしい)展開(てんかい)(なか)大川(おおかわ)のシュートで明治大(めいじだい)突き放し(つきはなし)

不安(ふあん)募っ(つのっ)たまま、(こん)シーズンが始まっ(はじまっ)た。自分(じぶん)目指す(めざす)エースの姿(すがた)思い(おもい)描け(えがけ)ていないという思い(おもい)大川(おおかわ)にはあり、プレッシャーに押しつぶさ(おしつぶさ)れそうなときもあった。そんな思い(おもい)迎え(むかえ)たファイナル4準決勝(じゅんけっしょう)での(けい)(せん)同点(どうてん)になったところで(てん)決め(きめ)自分(じぶん)からチームに発信(はっしん)もできた。エースとしての活躍(かつやく)果たせ(はたせ)たことが、自信(じしん)につながった。続く(つずく)明治大(めいじだい)との決勝(けっしょう)でも勝負(しょうぶ)どころで得点(とくてん)し、8(ねん)ぶりの関東(かんとう)制覇(せいは)をたぐり寄せ(よせ)た。「決勝(けっしょう)でのあのシュートは『打てる(うてる)、100%入る(はいる)』という確信(かくしん)をもっていけました。みんなが不安(ふあん)なときに決め(きめ)安心(あんしん)させる。それが自分(じぶん)のプレーだと思っ(おもっ)てます」。エースとしての自信(じしん)がうかがえた。

(こん)シーズンは2(ばん)だった櫻井(さくらい)も、1(ばん)狙っ(ねらっ)ていた(いち)(にん)だ。悔し(くやし)さはあったが、「祐季(ゆき)が1(ばん)をつけてくれたからこそ、伸び伸び(のびのび)とプレーができました」と振り返る(ふりかえる)。エースがいて、チームが躍動(やくどう)する。それが佐藤(さとう)HCが期待(きたい)したところだ。

来年(らいねん)も1(ばん)になれるかどうかは分から(わから)ないけど、またこの全日本(ぜんにほん)舞台(ぶたい)帰っ(かえっ)てきてリベンジしたいです」と、大川(おおかわ)言っ(いっ)た。日本一(にっぽんいち)への挑戦(ちょうせん)終わり(おわり)立教(りっきょう)(しん)体制(たいせい)移行(いこう)する。エースの証し(あかし)である1(ばん)もまた、(つぎ)挑戦(ちょうせん)のときを待つ(まつ)

「1」を背負っ(せおっ)た1(ねん)大川(おおかわ)()たものは大きい(おおきい)
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